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もっとも平穏な黒猫の飼い方。

  日々つれづれ嘘日記、+α。
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鬱金香ちゆりつぷのいろ透けおちてくたるのを せいれんなりときみは息つく

鬱金香ちゆりつぷぬくもりて花ひらくのを淫靡とわらうきみの目の艶

麝香豌豆スイトピーももの花弁フリルのフレアの如き 雪くず燃いて冬にとぶらう

しわくちゃの過去と相似の貌いまだ蕾・鈴生りデルフィニュウム

はるまだき桜の幹を剥ぐ爪に滲む血さえも淡雪なれば

はるまだき桜の幹を剥ぐ爪に滲む血さえも薄紅なれば

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 夏至が近い初夏の夜七時。空がデジタルで作ったような鮮やかな群青をしている。月は半分よりも細いために空にはまだ理性がのこっている。階段をふみしめて階を上がるたびに、明るく薄い昼の名残りが地平線のそばで光っているのが見えるようになる。
 星がひとつもない。その地平の左右の涯から、映画のフィルムのように糸巻きの糸のようにセロハンテープのようにびりびりと引き出されてくる一対の帯がある。南北それぞれから西の日没の点にむかって、ぐるりと世界を囲むように閉じていく門だ。
 日没と同時に王が(最近では神が)ぐるりとこの広大な(しかし小さな島国でもある)地平を取り囲みはじめたその最初にはひとびとはそれなりに反発したのだが、いまでは慣れてしまった。夜の間に何かがはいりこむのをふせぐのだという王(最近では神)のいいぐさを、とげとげしい柵でぐるりを囲まれる国民のほうはもう聞いていない。金がかかることと、こんな歳になってまで外から守ってもらわなくてはならないことにさえ目をつぶれば、それはそれなりに美しいからだ。
 くろがねで出来た繊細なレース編みだと思えばいい。たいていの人々にはその門は遠すぎて、世界の果ての陽光のなごりに毎夜刻まれる黒い影でしかない。
 最近では、夜明け前にあの門が開かれるその瞬間にその隙間を目撃できると恋がかなうというジンクスまである。実際には、それを目撃することは誰にも出来ないのだが。



 駅の階段をタクシープールの方向へ降りていく途中で、薄い綿のジャケットの袖口からぼろぼろ落ちて階段に点々とふりつもっていく女を見た。
 その手がわなないたと思ったら、みるまに紅紫の芍薬に似た花弁のかたまりになってすぐさま散ってしまったのだ。ジャケットの袖がみるみる痩せ細って風にぺらぺら靡きはじめる。女は自分が落ちていくのに気がつかない様子で、俺の前をたんたんと降りていく。



 かみさま、と唱える口に生コンクリを詰め込んで塞ぐことにする。その目が栄光の光を吸い取るまで。




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 ニス塗りの舞台のふちに指をのせて端まで9メートル、がんぜなく歩いて指に埃がひとつも付かなければ卒業までに願いがひとつかなう、という噂がある。
 けれど、そんなことはありえない。わが演劇部が毎日みがきあげているとはいえ、繊維のカタマリの緞帳をつねに湛え、繊維のカタマリの部員が時間いっぱい端から端まで飛びまわっているのだ、どうしたって埃は出る。
 一年生が雑巾をかけた直後を狙って実行してみても、真面目な後輩がココロをこめてぴかぴかに磨いたはずの数秒後には何処かからふよふよ繊維がとんできてくっつくのだ。
 大体育館の抱える空気の容積は底知れない。掃除したって掃除したって、塵ひとつ無くなるということは物理的にありえないのだ。
「ねー、あのハナシってさあー」
 今日のチャレンジでも、やっぱり指の腹にほんのちょっと付いてしまった埃をみつめながら七花は寄り目になって呟く。
「本当に願いが叶った人、いるのかなあ」
「さあねえ」
 モップの柄のてっぺんに手と手と顎を載せて、あたしは肩をすくめる。「卒業までとか、逆に、些細な願い事さえ一つも叶わないなんてこと、ありえないとおもうなあ」
「にゃーは冷徹だねえ」
 七花は人聞きのわるい言い回しをする。
「冷静と言って」
「静でも徹でも、変わらないよ。てゆうかシズカよりはテツのが似合う感じ。頑固一徹」
「何それ……」
「うるさくはないけど静かではないよね。ハラから声出るのも透徹した感じ。『ああ我が身、この薔薇の葉ちりしく庭の朽葉となろうとも、いっそ至福! ヘンリエッタ、紅き貴女を養う腐土となれるのなら!』」
 途中から朗々と台詞を言い始める。七花の声は艶があって案外に低い。普段喋っている時と、質も、大きさも、音色も、耳ざわりも違う。
 あたしはモップをたたむ。
「うちのヘンリエッタは、あまり紅い花って感じじゃないけどね」
「しょうがねえべさー」
 七花は声を小さくして、あたしの肩口に顔を寄せる。「年功序列だもん。センパイには逆らえんわさー」
「先輩の中でも、もうちょっと身長ある人にしてくれたらなあ……」
「ムリムリムリムリ。江端センパイがいちばん力もってるもん」
「それが謎……」
 あたしは出来るだけ小声になって(といっても他には誰もいないんだけど)、眉をひそめる。
「江端先輩でも悪くはないんだけど……じゃっかん凛々しさがほしいというか……」
「ヘンリエッタは、いいじゃん。あれで」
 七花は黒目がちの丸っこい目を二回またたく。
「嵐ヶ丘な感じ? 自分の妄想の中で恋愛して、よく広がるスカート履いてくるくる回ってる感じのヒロインじゃん?」
「ナナ、嵐ヶ丘、読んだことないでしょ」
 あたしは横目で七花を見る。真っ黒い髪をふたつにくくって(肩につく長さの髪はひとつかふたつにまとめるべし、という校則のせい)、えび茶のジャージのジッパーをいちばん上まで上げている。とがってはいないけどはっきりした顎の線が、ハイネックみたいになったジャージの首からうきあがって見える。姿勢が良くて、首が長い。肌の質感がいいのだと思う。前髪も長いからおでこがつるっときれいに出ている。
 あたしはヘンリエッタは七花のほうが似合うと思っていた。それは甘い、妄想でスカートをひらひらさせているヒロインだからという意味ではなくて、たとえば薔薇園で身を投げ出して求婚する男を、絨毯か置物みたいな冷たくも温かくもない扱いで無視したりするあたりが。
「にゃーは読んだことあるん。嵐ヶ丘」
「ない」
 あたしは即答する。ただ、図書室の棚の一角をかなりの幅とって占めていたような記憶があるから、たぶん七花はあんな先の見えないものに手を出したりはしないだろうなと思っただけだ。
「まあ確かに、ちょっとあれかもね。にゃーは背が高いし、江端センパイだとちょっとバランス悪いかもね、並んだ時」
「そこまで高くないよ」
「うーん。なんつか、にゃーは大きく見えるんだよね。舞台ばえするってゆうの? 江端センパイがセンターに立ってる時、にゃーが登場すると、客の視線がブレるのがわかるもん」
「……ソレは、あたしはどーすればいいんだ」
「や、どうしようもないんでない?」
 七花は掃除をおわりにして舞台袖へ歩き出す。あたしも癖で舞台の端々まで目を走らせながら、モップをしまいに行く。
「だってさー、舞台の真ん中に場所もらって、ボリュームのある綺麗な衣装着せてもらってー、スポットもらって長台詞もらって、いちばんの見せ場を客も見てるつもりなのに、それでも視線を集め切れないセンパイが悪いんじゃん?」
「……毒舌だよね、ナナは」
「てゆうか監督がわるいんじゃん? 配役が」
「三沢さんは悪くないよ……」
 あたしは首をすくめながら言う。いちど、こんな調子で七花と先輩たちの噂をしていて、ピンマイクをつけたままだったのを忘れてて全部先輩方にツツヌケだった――という夢を見たことがある。目が覚めてしばらく、耳の中に心臓があるかと思うくらい動悸がうるさくてとまらなかった。だから今でも、ひょっとしてどこかで誰かが聞いてるんじゃないかと思ってそわそわする。そんなことはありえないんだけど。
 あたしの不安をよそに、七花はくるりとターンする。
「にゃーは三沢さん好きだよね!」
 眉をきっと上げて言う。「ゆっとくけど、あの人そんなイイヒトじゃないと思う!」
「いや……、あたしもいいひとだとは思ってないけど」
 あたしはモップをロッカーの中のバケツにつっこみ、七花から雑巾を受け取ってタオルかけに干す。
「あたしは、あの人の書く話がわりかし好きでさ……」
「ああうん。きれいじゃないところがいいよね。だけどそれこそ善人じゃない証明というか」
「善人なんて、世の中にどれだけいるの」
 あたしはロッカーを力をこめて閉める。スチールの扉が歪んでいて、下辺と取っ手を同時に押さないと閉まらない。仕方なく片足を添えて閉めるのだ。
「よっ。……極悪人じゃなければ、問題ないね。あたしは」
「問題って、なんの問題?」
「付き合えるってこと。人として」
「極悪じゃなければいいんだ? 悪人でも?」
「小悪人くらいなら、まあ、いいかな……」
 あたしたちは舞台に戻る。
 もう体育館内に人はいない。先輩たちはとっくに帰っている。その少し後に、一年生たちも「おつかれさまでしたあー」とさんざめいてわちゃわちゃと出て行った。ちいさくてかわいい。ただそれだけで役に立たないけど。
「『ヘンリエッタ! ……貴女のその満月の瞳に映ることができるなら、僕は、僕自身をも貴女の前に投げ出してみせます。貴女が立っているのが、たとえ地獄の縁でも! ……あるいは天国の階段の天辺であっても!』」
 あたしは控えめに、誰もいない空間に向かってかきくどく。
 江端沙耶香がその場に立っているときは、どうしても出せない感情というものがある。あたしは江端先輩の前に自分を投げ出すことはできないし、江端先輩の後ろに、気高く紅いヘンリエッタを見ることも、できなかった。
「『どちらにせよ地獄へゆくのね、アリョーシャ』」
 せせら笑う芝居がかった吐息をひっかけて、七花が見当違いの場所から応じる。七花は、演じているのではない。七花のそれはあくまでも、「江端先輩のヘンリエッタのモノマネ」だ。
 七花は役をもらったことがない。七花が演じるところを、あたしは見たことがない。
「『僕にとって貴女の足元は地獄だ。僕はこれでも気高い男だ、だれかの足元の地面に額をこすりつけたことなど、赤子のころから一度だってない。それなのに僕は、貴女のその白樺色の足首がたてる音を聞くためなら、膝をついてでも耳を寄せるだろう。背をまるめ、息をつめ、乞食のようにがっつくだろう。それがどれほどの屈辱か、貴女にはわかるまい……、いや、貴女だからこそ、わかるのだろうか?』」
 あたしは空白の場所にヘンリエッタを投影する。江端沙耶香というノイズがないときのほうが、余程役に入り込めた。
 これは、あたしをチェックする先輩も、観客もいない、ただの遊び。ただのライヴ。だからあたしは自由にしていい。あたしの見つめる先には、まじりけのないヘンリエッタがいる。江端沙耶香ではない、台本に出てくるそのままの、紅い気高いヘンリエッタが。
「『あたくしは垣根にひらく薔薇! 首をたれる時には、もう枯れているの』」
 七花が応じる。
 あたしは悄然として立ち尽くす。雷に打たれたような気分で、ヘンリエッタの言葉を反芻する。
 ゆっくりと、架空のヘンリエッタの顔色をうかがうように、視線を上げて身を乗り出す。
 ほんとうはここにも絶望を吐露する台詞がある。だけどあたしのなかのその男は今、言葉をなくしてヘンリエッタを見ているのだ。あたしの中のその男はもはや反論できない。たしかに、目の前の女は硬い垣根にすっくと背をのばした薔薇で、だれの前にも膝を折ったりはしないのだ。
 もし自分のように恥も外聞もなく跪くときが来たとしたら、そのときにはもうその心性は死んでいる。
「『………、ああ、ヘンリエッタ』」
 あたしは七行分の台詞をとばして、呆然と呟く。
「『君と僕のあいだの、この絶望という名の断絶を……、僕は今、心底、幸福に思う……』」
「いいね」
 急に、別の声が割り込んだ。
 あたしは驚いて、身を乗り出していた姿勢から思わずそのまま前へつんのめった。七花が、ひぃ、と声を上げてぱたぱた舞台をかけてきた。
「三沢せんぱい、あの、あれ、生徒会じゃなかったん、ですか……」
「生徒会だった。もう終わったから」
 あたしはへたりこんだまま、客席――というか体育館のバスケコートのほうを見る。もう制服を着ている三沢露穂が、上履きのままコートを突っ切ってくるところだった。ブレザーを男子みたいに肩に担いで、臙脂のピンリボンを留めずに首にひっかけている。不ぞろいで真っ直ぐな髪は顎の下より長いくらいで揺れていて、目がするどく、声は低い。長い睫毛と整った顔立ちは女優むきだったけれど、自分は絶対に舞台に立たなかった。
「今のはいいね、皆本」
 獣みたいな表情で三沢露穂は言う。
「あのくどくどしい長台詞は削ってしまおう。今のでいいよ」
「えっ……」
 それは難しい。
 と、あたしは思ったけど、言えるはずがなかった。あのシーンは、江端ヘンリエッタが目の前にいるときはむしろ長台詞がないと間がもたないのだ。いまのは、あたしが七花の声を助けに、幻のヘンリエッタを見ていたから出来た演技なのであって……、
 なんて、説明できるわけがない。
 三沢先輩は満足げに何度も頷きながら、舞台わきの階段から舞台に上がってきて、七花のちょうど対角線上――あたしの斜め前くらい、あたしが想定するヘンリエッタの背後の位置に立った。
「さっきの通し稽古よりも調子がいいね、皆本。どうしたんだ?」
「あ……、えっと……、そ、そうですか?」
 あたしは自然に笑って頭をかく。
「さっき注意されたことに気をつけて、おさらいしてただけなんですけどー」
「そうなの?」
 三沢露穂は小首を傾げて聞き返した。
「それならまあ、ある意味、安心なんだけど。その位置に――」
 と、空白の場所を指差し、
「沙耶香が立ってても同じように出来るんなら、それに越したことはないね」
「………は……、い?」
 あ、しまった、へんな反応した。
 と、思ったときには遅かった。
 三沢露穂はちょっと目を見開いて、それから、苦笑のような軽い笑いを鼻から漏らした。
「嘘をつくなよ、皆本」
「え……、や、その……」
「わかった。さっきの台詞は、やりやすいほうでやっていいから」
 三沢露穂はかるく手を挙げ、
「悪かったね」
 そう言って、すぐにくるりと踵を返してしまった。
 わざわざ舞台まで来たのだから、何か演出の変更をはじめるのだと思っていたあたしはちょっと焦った。てゆうか、何か作業をしに舞台に戻ってきたんじゃないの、この人?
「あの、せんぱい……」
「はいはい。また明日」
 さらりと言って、肩越しに手を振った。
 てくてくとバスケコートを横切っていく背中を、あたしと七花は見送った。


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vassel |2007/09/06|

 黄金色のおおきな花が二輪、値札をつけられて、クーラーの利いたスーパーマーケットの野菜売り場の端に咲いていた。
 白いゴムひもで縛られてバケツにつっこまれている。値札には、ひまわり、と書かれていたが、どうみてもひまわりではなかった。ひまわりに良く似た太陽の色をしている。キク科らしい細い花弁を放射している。
 みればみるほど太陽に良く似ている。
 二十世紀なしを入れただけのカゴをさげて、思案した。
 わたしが悩み始めたのに気付いて、入り口の自動ドアの傍に待機していたカーマインがちょこちょこやってきて、膝下あたりにぺたりとはりついた。
 カーマインは、小さい人である。背丈は、大人の膝から腰より低いくらい、髪が真っ青か青紫で短く、アーモンド形の目も同じ色をして、白目がない。
 どうしてカーマインなんて名前なのか知らないが、とにかくそう呼ばれている。スーパーマーケットや住宅街にいて、通りすがりの人から買い食いの甘栗をわけてもらったり、生ゴミのなかからゆで卵の皮をさがしてきて綺麗に洗って靴下にしたり、そんなかんじで生活している。
 とにかくそんな見ず知らずのカーマインが、花を前にしているわたしに寄り添って見上げた。
「カナコ、買うの?」
「うーん」
 カナコ、というのは、カーマインたちが人間の女性に語りかける時の呼称だ。男性のことは、ミチオ、と呼ぶ。何故かは知らない。
「迷ってるの?」
「迷ってる」
「どうして?」
「うちの花瓶の調子がわるいの」
 わたしは頬に手を当てて考える。遠巻きに、お店のひとがハラハラ顔でこっちを見ていたが(というのは、お客さんの中には世の中の都合の悪いことは全部他人のせいだと思っている人がいて、そういう人がカーマインを毛嫌いしていると、カーマインがそこにいることは店のせいだという理屈になるからだ)、わたしはお店の人を無視する。無視されて、お店の人は安心したようすで、それでも遠巻きにカーマインを見守っている。
 お店屋さんの中にも世の中の都合の悪いことは全部他人のせいだと思う人がすこしばかりいて、そういう人がもし偉い人だと、万引きとか売り上げ低下とかの都合の悪いことが全部カーマインのせいにされてしまうので、偉くない人はカーマインをちゃんと見張っているように、と言われているのだ。
 小さいカーマインは、きょろりとした目でわたしを見上げる。カーマインの中でも、さらに小さい。子どもなのかもしれない。
「あの、あれ、あるの? かびん」
「あるよ。100円の白いやつ」
「100円の白い?」
「そう。四角くて背の高いやつ」
「………」
 カーマインはゆっくり目を瞬く。たぶん、想像できないのだろう。
「だけど、あれに活けるとすぐ枯れるのよ」
 わたしは首をかしげる。花瓶が小さいから、すぐ水が悪くなるのだ。
「こまめに水を替えるのが、めんどうなのね……」
「カナコは、かびんの調子がわるいのは、水をあげないせいだと、思っている」
「そうよ」
 ちょっと違うけれど、それをカーマインに納得させるのは難しい。難しいし、そんなに大した違いでもない。
「カナコは、水をあげる。するとかびんが直って、働く」
「そうね」
「かびんは、壊れているの」
「壊れてはいないわ。壊れかけているだけで。直せば、もとにもどる」
「ふうん。それは、ミチオと同じだな」
「うん?」
 わたしはカーマインを見下ろす。カーマインはぷっくりした頬っぺたにえくぼをつけている。人より、膚が少し蒼みがかって、銀に光る。
「ミチオも、こわれかけた。花をさしても、枯れやすい。水をもらっても、枯れる。花の茎を切ったりむしったり、あと、水にいいものを混ぜたりしたけれど、直らなかった」
「それでどうしたの」
「たまごの薄皮を貼る。カーマインは、それで、傷をなおす」
 ぺったり、と、ひとより薄い皮膚をもったてのひらが、わたしのふくらはぎに触れる。
 少し、両生類じみている。ひんやりしているなあ、と思って、見下ろす。
「カナコ、たまごを買え。沸騰したお湯に8分半つけて、よく冷やす。なかみは、カーマインがたべてやる。皮をかびんに貼るのだ」
「うーん……」
「なかみは、カーマインがたべてやるぞ。足りなかったら、もう一個でも、たべてやる。ほら」
「うーん……」
 わたしがレジのほうへ押されながらお店の人を振り返ると、すぐに目が合って、大慌てですっとんできてくれた。
 カーマインは彼を見上げて、「しっしっ、ミチオ、おまえはもう皮も要らないだろう!」と、ひらひら手をふる。

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大暑 |2007/08/01|

 夏に、あまりにも緑が燃える季節に、短い濃い影を落としながら、わざわざ日の下へいって、汗をぶわぶわ出しながら、蒸し焼きの鶏肉の気分を味わいながらでも、ラムネとかを片手に、甲子園で野球を見られる人に、なろうと思った。
 急に、そういうことをしたくなったのだ。二の腕の、肩のすぐ下よりも肘の上のほうが若干太くなっているのをノースリーヴを着てはじめて気付いてから、あれ、わたしこんなかたちだったっけ、と呟いたら床からリィトが黒い尻尾をぱたりと振って「肉が落ちてきてるんだね」と言ったからだ。
「筋肉が見えないのに、そんなとこに肉がたまるというのは、人間の場合は老衰のあらわれなんじゃないの」
「老衰!」わたしは目をみはった。「ば、ばかなこといわないのよ!」
「だいたい、橙月は、虚弱なんだよ。さいきんでは外にも出ないから、ろくな運動もしないし」
「あ、暑いんだもの」
「それが何」リィトは金色の目でこちらをつめたく見上げる。「去年も一昨年も、そして多分来年も再来年も夏は暑いよ。それが何かの理由になるの?」
「だって、昼のあいだは出歩いたってすることがないんだもの。浴衣だって夕方に着るものだし、えだまめとビールも、花火も」
「高校野球とか見ればいいじゃない」
「そりゃ、リィトは動くものを見るのはわくわくするんでしょうけど」
 リィトが、TV画面を飛ぶ白球を爪をだした前脚ではたくのをやめるようになるまでは、うちではプラズマテレビに買い換えないことにしようと思っている。いや、そもそも、テレビを買い換えるお金なんてないけれど。
「だいたい、昼間ものすごく暑い目を見た人だけが楽しめるんじゃないの? 昼間暑くて暑くて汗をかいて肌を焼きながら働いて働いて、ようやく帰ってひとっ風呂あびて浴衣でビールで枝豆で花火だから気持ちいいんじゃないの? 橙月は、朝から晩まで風通しのいい暗い部屋でずっと涼みながら怖い本を読んで泣いてるだけじゃない。とくに今日」
「な、泣いていないわよ。それに、今日だって働いたのよ、少し」
「少しでしょう」
「そういうリィトは何したのよ」
「僕は浴衣なんか着ないし枝豆もビールも口に合わないし、花火も嫌いだから、何もしなくていいの」
 リィトがすまして言う。わたしはしゃがみこんだ。
「どうして。花火楽しいでしょう」
「楽しくないよ。くさいし音がするし光るし火が飛ぶし子どもははしゃいで僕をおいかけるし、そうしたら煙は目に染みるし髭は焦げるし。何が楽しい?」
 それはそうか。
 わたしが答えに窮していると、リィトは特に面白くもなさそうに、また、ぱたり、と尾を倒した。
「だからさ、橙月はそろそろ、真夏を楽しめる人間に成長してもいいんじゃないの」
「………真夏を楽しめるのは、こどもと若者だけと決まっているのよ」
「若者じゃないの?」
「!!」
 それでわたしは決意したのだ。
 今年は、日のしたで夏を満喫できる人間になるのだ。もう一度。


 かつて、ひどい炎天下でも、夏だというだけでわくわくして、どきどきして、何も手につかないくらい嬉しくて仕方なかったあの感じは、いつから薄れたのだろう。
 白い大きな帽子を用意して、河原を歩きながら、考える。
 土で均した土手を、体操服姿の中学生が二列になってリズムよく駆けていく。聞き取れない掛け声でスピードを保ちながら。
 あの感じは、どこからゆるまったのだろう。
 かつて、わたしは、疾駆していた。わたしはべつの名前だった。毎日、はりつめた糸の上を、全力疾走でわたりつづけていた。毎日、知識がふえ、理論は冷めて冴えた。感覚はするどく、感情はひらたく、感覚する器官と統合する機構があれば運動する器官はいらなかった。いや、ハードの耐久性をあげるという意味で、運動する器官にも必要性はあった。ただし、それ以上ではなかった。
 わたしはあの頭から風につっこむだけの疾走について、あまり記憶がない。
 この土手からいちどきに駆け下りて川へ飛び込んだら、「時をかける少女」みたいに、なにかを変えられた時点へ跳べるだろうか。
 けれどあれはむしろ熱病に浮かされた期間だったような気もする。あれはむしろ非現実にひたむきに生きていた祝祭の時間だった気もする。
 いまは地に足が着いているのだ。むしろ。

「おかえり」
 つめたいフローリングにぺったりと毛の少ないおなかをつけて涼をとっているリィトが、その姿勢のまま、わたしを迎えた。
「どうだった、若返るツアーは」
「わたし、もう戻れないわ」
 わたしは帽子を帽子掛けにかけて、つぶやく。
「もし、失う前の時点に戻れても、失う前のわたしには戻れないのよ。タイムパラドクスって、そういう理屈でしょう」
「異次元って、物理的に存在するよ?」
 リィトはあくびをした。
 わたしはふたたび姿見のまえで二の腕にためいきをつきながら、「とりあえずは、このかたちをどうにかしなくちゃなのよ」と、呟いた。

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もっとも平穏な黒猫の飼い方。 © 壱緒 2017. (http://horahuky.blog65.fc2.com/)

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